読書のお話 その5

  新潮文庫の啄木の歌集に親友だった金田一京助が解説とともに「拾遺」といって歌を拾い取っている。どれも秀逸であるが「ヨウ然と黄昏て来ぬその時つと我離る君は人妻」。年上である金田一が童貞であるのに自分はすでに子までもうけてしまって負い目を感じるという啄木とのやり取りは、明治の青年同士の 初々しいやりとりが感じられて愉快。いつになっても男同士の会話は同じようなものに違いない。 

石川啄木「悲しき玩具」。啄木は肺病を患い極貧のなかで27年の生涯を遂げた。私は啄木はロマンチストの明治人だと勘違いしていた。「悲しき玩具 」は拗ねたような、僻むような内容の多い残念な歌集だった。「歌は私の悲しい玩具である」という啄木のことばを入れて友人の土岐哀果がこの歌集を命名したらしい。「今日もまた胸に痛みあり、死ぬならば、ふるさとに行きて死なむと思ふ。」「氷嚢の下より まなこ光らせて、寝られぬ夜は人をにくめる。」「人間のその最大のかなしみが これかと ふと目をばつぶれる。」「新しきからだを欲しと思ひけり、手術の傷の 痕を撫でつつ。」「胸いたむ日のかなしみも、かをりよき煙草の如く、棄てがたきかな。」「やまひ癒えず、死なず、日毎びこころのみ険しくなれる七八月かな。」結核は明治の有意なる若者を何人死に至らしめたことか!

沢田英男さんという木彫刻の「かたわらに」という彫刻作品集を手にした。40年の彫刻家としてのキャリヤを捨てて、小さな手に取れるような作品を作り始めるにはドイツ留学の経験が大きかったようだ。「ドイツでは靴屋で靴を買うようにじぶんの彫刻作品を買ってもらった」そうだ。小さな、表現を削ぎ落したような作品群の作品集である。「最初は手も足も作りますが、手足を取ったり、表面を荒らしたりして、作った形をわざと壊します」と語っておられる。「形を壊すことで偶然をよびこみ、そこにおどろきや発見があったとき新しいものができる」と。「かたわらに置ける彫刻があっていい。小さいもの、か弱いもの、孤独のなかにこそ美はあると思う」と沢田さんは言います。庶民でも手に取って、持ち帰ってもらえるような作品が作りたくなられたのかも知れない。私の敬愛する木村繁之さんの木彫刻作品と相通ずるところがある。似ている。

アンドレス・バルバという作家の「きらめく共和国」を読みました。エラルデ小説賞を受賞して22か国で翻訳されている注目の作家の作品のようです。読み始めてすぐに「ハーメルンの笛吹き男」の焼き直しじゃないかという思いがあって、どんなもんかなあと考えていたら、作品のなかで「ハーメルンの笛吹き男」について述べるくだりがあって、「ああ、認識してのうえでの作品なのだ」と安堵しながら読み進めることができました。作品の内容は重苦しくて、深刻な問題を扱っているのに、表紙の絵や題名はやや不釣り合いな感じがしました。最後に和文題名の意味が分かりますが、もう少し違った和訳の題名でもよかったような気がしました。作品のストーリーよりも、主人公の男性の独白の内容や感受性が作品の命なのだと思います。何度か読み直すべき作品なのでしょうが、残念ながら私には読み返す習慣は皆無なので、この作品の本当の味わいを読み落としているかも知れないとは思っています。

石川啄木の「一握の砂」を遅ればせながら味わいました。沢山の耳慣れた短歌があって、ああこれもここからの出典なのだと感じ入りました。「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」「砂山の砂に腹這い 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日」など初期の甘い若さの憂いを含んだ歌が、徐々に深刻な影を帯びたものになっていったのは、実際の赤貧洗うが如き生活苦が影を落としていたのだと、解説を読んで納得しました。短い人生苦労の多い一生だったようです。若い歌人が、それでも文学で身を立てる意欲を捨てきれず、「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る」と死ぬことを思うまで追い込まれた。明治の男子として、これほど赤裸々にじぶんの弱さや辛さを嘆いて見せたのは、やはり新しい試みではあったのだと、老境に近づきながら思います。若くして苦労して、可哀想だったね。頑張ったね、と。

悪友にそそのかされて、宮本 輝の「灯台からの響き」を読みました。面白かったですね。ホーキンス博士が来日した際に誰かが「宇宙時間における一瞬は、この地球時間ではどのくらいなのか」と質問したら、博士は即座に「百年」と答えたらしい。百年はある時間感覚で言えばたったの一瞬。百年も十年も五十年も大差ない。「生まれて三日で死のうが、百歳で死のうが、そこに差はなく、一瞬にすぎない。永遠のなかの一瞬なのではなく、一瞬のなかに永遠があると見れば、三日で死んだ子もなにかを残して生涯を終えたことになるのだ」という主人公の独白には共感するところがある。「亡き妻の知られざる出雲での若かりし頃の秘密」について下世話な私は、秘密の恋愛に違いないと思っていたら、もっと道徳的なお話だった。そいれはそれで興味深かったが、小説はもっときわどくてもいいんじゃないかな? 老成されて、道徳的なものを書くようになったんだろうか? この作家の著作をほとんど読んでいないが、若いころはもっとドロドロしていたような印象があるんだけど。私のいい加減な思い込みだろうか? それにしても、この作品は私が思っている考えと似たような着想の部分がとても多くて、驚きました。私も道徳的な爺さんということかな? 

パオロ・ジョルダーノの「コロナの時代の僕ら」を読みました。「素数たちの孤独」と「兵士たちの肉体」を読んだことのある作家です。ウイルスを含む病原体が人間なんかいなかった森林の奥深くの多くの動物たちの腸などに生息してのんびりやっていたのに、人間がそこに土足で踏み込んできて、森林は破壊するは、動物は絶滅に追い込むは。で、生息地を失った微生物たちは、飛行機に乗って地球上を縦横無尽に駆けずり回って、感染をあっという間に広めてくれる、格好の宿主である人類に目を付けたのは、身から出た錆、当然の帰結というのは分かりやすい説明でした。「今回のパンデミックのそもそもの原因が自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそある」と言って、この巣ごもりの時を無駄にせず、「こんな状況におちいってしまった僕らは、このあとどんな風にやり直したいか?」を考える有意義な時にしなくてはならないと訴えます。懲りない人類はのど元過ぎればということになるのは歴史が証明しているように私には思えてなりません。パオロだって分かっているのでしょうが、だからといって最初から諦めていてはいけないという、生善説を唱えなければ存在意義を失う知識人を代表して声を大にして訴えてくれているのだと思います。念頭に置きながら日常の様々な判断をすべき貴重な訴えだと思います。

イーユン・リーの「黄金の少年、エメラルドの少女」を読みました。この作家が男性か女性かも分からず、他の作品を注文する際に、題名に魅かれたという理由だけでこの本を注文しました。短編集。私の不得意な短編集でした。最初の「優しさ」という作品は私が好まない類の作品で先が思いやられましたが、読み進むうちに作家の書き方にも慣れていきました。在米中国人女性作家でした。ウィリアム・トレバーという作家を敬愛するというリーですが、最初は中国を舞台意にしてるというだけで気の重い作品だろうと思っていましたが、読み進むうちに愛というものの一途さや普遍性を感じさせられて、私の好きな作家で短編の女王と言われ最近ノーベル文学賞にも輝いたアリス・マンローが中国人だったら、このような作品群を書いたのかも知れないと思うと、急に親しみを感じながら読み終えました。黄金の少年、エメラルドの少女は中国での「金童」と「玉女」、理想的なカップルのことを「金童玉女」というのだと書いてあって、少なからずがっかりしてしまいました。ゲイの男性と行き遅れた女性が、親や旧知の人との愛を重んじるために「金童玉女」となって結婚を決意するというお話は愛の一途さを感じさせてくれる作品でした。

ベルンハルト・シュリンクの「オルガ」を読みました。こころに深く刻み込まれるべき本にまた出会うことができました。幼いころ両親を亡くした少女オルガはドイツ帝国に生まれました。苦学して高等教育を受け教師になります。やがて、夢多き野心家の青年と実らぬ恋に落ち、それでも二人は愛を温めあいますが、彼は無謀な冒険に旅立ち帰らぬ人となってしまう。オルガは待ち続けます。オルガの死の部分の描写はとても美しかった。「オルガは目を開いた。一瞬視線をさまよわせたが、ぼくを見つけ、愛情や喜びで顔を輝かせたので、ぼくは泣かずにはいられなかった。ぼくには理解できなかった。この顔の輝きがぼくのためだなんて。彼女はぼくをこんなに愛してくれて、ぼくが来たのを喜んでいる。そもそも誰かがぼくのことをこんなに愛し、喜んでくれるなんて。 -------ぼくはまたベッドサイドに座り、また彼女の手を取った。   -------外がゆっくりとl暗くなった。ぼくはいつのまにか眠ってしまった。目を覚ましたとき、オルガの手はぼくの手のなかで冷たくなっていた。」この場面は物語のなかでは、ほぼ真ん中あたりに出てきます。主人公の女性の死は真ん中あたり。旅立った恋人に手紙を書き続けたオルガ、その恋人に届かなかった手紙の束が、物語を静かに結んでいきます。結び合わされるべき物語が、その手紙の束のなかから、光を当てられるのです。オルガの人生がドイツ帝国の歴史の中で流れていたのだと理解されます。「小さくとも確かな 幸せを求めつづけたあるポーランド系女性の波瀾の生涯」は凛々しくしっかりと前を見続けたものでした。

黒川 創の「暗い林を抜けて」を読みました。初めて読んだ作家でした。男性か女性かも知らない。物語の始まりは女性の独白だったので、てっきり女性だと思っていましたが、読み進むうちに作家は男性だと確信しました。読売文学賞、伊藤整文学賞、毎日出版文化賞、大佛次郎賞など玄人っぽい文学賞をもらい続けてきた実力派。物語の中心となるノンフィクションの部分も主人公が交錯し、その間に粘着質な綿密なフィクションが織り交ぜられていて、なかなか読み応えのある作品でした。フィクションの部分をうっとうしいと思うか、作品に奥行きを与えていて好ましいと思うかは、意見の分かれるところとかも知れません。大きな意味での主人公の最初の妻が仕事仲間と浮気をして、繰り返し逢瀬にいたってしまうところなどは、男性目線ですが欲望としての納得がありました。胸が苦しくなりました。主人公がガンで余命いくばくもなくなったところの最期の描写がもう少ししつこくてもよかったかなと思いました。いずれにしても、絡み合ったストーリーが大人の作品に仕上がっていたと思いました。