歌、唱、うたのお話

私は現在二つの合唱団で歌っております。一つは家内と一緒に歌い続けてきた、ザ・メイプルメイツです。この団は思い入れの塊のような合唱団です。家内の葬儀にも仲間に歌っていただきました。外科医でいらっしゃった高橋 信先生の主催なされる団です。家内の絶唱となった「群青」を歌わせていただいたのもこの団です。この時私が感極まって歌えなくなって、それがテナーパートに伝染して、それをいぶかし気にちらちらと見られておられた広大グリークラブの先輩でいらっしゃたNさんはすでに鬼籍に入られました。

もう一つの合唱団は寺沢 希先生が主催、指揮をなされているカンマコア・ヒロシマ・カントライ です。この合唱団には私は新入りですが、私が人生の最後に歌いたい合唱団に相違ないと思い、私にはやや荷の思いレベルの高い合唱団ですがもがきながら歌っております。パート練習無し、いきなり全体で合わせるというレベルの高すぎる合唱団ですが、頑張って付いていきます。なんせ人生最後の合唱団ですから。寺沢先生よろしく~。お手柔らかに!

平成28年1月10日、広島大学グリークラブ創立55周年記念演奏会に、なんと、私が出演しました。それも、5ステージのうち4ステージに乗りました。恐れ多いことです。私がグリークラブのOBとして練習に参加したのは、27年の12月になってからのことだったからです。芭蕉が道祖神の誘いに抗えず、取るものも取りあえず奥の細道に旅立ったように、私も、グリークラブの演奏会に出たくてしょうがない気持ちが急に強くなって、12月から練習に合流したのです。そのかわり、毎日、ユーチューブを聴き、鍵盤を叩き音取りを必死にしました。多田武彦の「雪明りの路」、高田三郎の「戦旅」、湯山昭の「ゆやけの歌」、それに、愛唱歌のステージ。相当の難敵でした。最大のステージでは80名ほどの男たちが男声合唱を熱唱しました。当日の感触からも、ネットに投稿された音源からも、あるレベルを保ったきちんとした合唱であったことは間違いありません。出演者が涙で歌えなかった、という感想を多く寄せておられます。感動的な演奏だったんですね。自画自賛ですが。70歳くらいのOBから、20代?のOBまで、年代を越えて、広大グリーの各パートの声のよく揃ったこと! 広島、関西、関東と三か所で練習を重ね、前日と当日のゲネプロで全体を合わせただけだったのですが。男声合唱の醍醐味を満喫した二日間ではありました。しかし、残念なことに現在広島大学にグリークラブなる男声合唱団は存在していません。時代の流れのせいか、広大の統合移転がだらだらと続いて、分裂状態で練習せざるを得なかったせいか、知る由もありませんが、グリークラブはメンバーがそろわず、休部に追い込まれてしまったのです。そのせいもあって、OBの思い入れはいっそう高まったのです。混声合唱にはない、潔い、精一杯の絶唱。これもまた、合唱を愛する者には、贅沢でかけがえのない醍醐味ではあります。

平成27年11月。廿日市市在住の声楽家、柴 久美子先生が指導される女声合唱団「詩葉の会」という小さな合唱団の創設25周年記念演奏会を聴きに行きました。演奏レベルの高い合唱団という訳ではありませんが、肩肘張らない柔らかな合唱団です。「愛しさと夢と希望を調べにのせて」というテーマの演奏会でした。耳慣れた楽曲が多く、例えば、高田三郎の「水のいのち」から「雨」、信長高富の「雪の絵本」、「慕情」から「慕情」、「かぐや姫の物語」から「いのちの記憶」、杉本竜一の「Believe」、「花は咲く」、石井 亨の「ひろしま我が街」。 誰もがじぶんの人生に重ね合わせられて、共感できる、素直な美しい歌。わたくしは第四部を聴きながら、流れる涙を止めることができませんでした。「ああ、こんな合唱もあるんだ……」と。技巧的に上手でなくても、こ難しい楽曲でなくても。ひとは、想いのこもった歌声に感動するのだと、改めて気づかされる思いでした。広島を代表する合唱団の歌を聴いて、感心したり、気持ち良かったり、感嘆したりすることはあっても、涙が止まらいことは稀有なことです。柴先生のご指導や音楽に対するお気持ちが団員に共有された素晴らしい演奏でした。歌に魅了されながら、気持ちよさそうに歌っている小母さん、お婆ちゃんたちのお顔の、なんと神々しかったこと。なんの変哲もない一人一人の人間をこんなにも輝かせられるのは、合唱のもつ神がかり的な素敵な「ご利益」でもあるのです。

平成27年広島のビリヤードアンサンブルというSATB各一人ずつというアンサンブルのコンサートを聴きに行きました。男声が圧倒的に安定感がありました。テナーはわたしの先輩ですが、掛け値なしに声楽を愛する実力者であることを痛感いたしました。パレストリーナのモテットとバードの四声のミサ曲は、ポリフォニーの美しさが如何なく発揮されて、美しいハーモニーにもうっとりしました。 聴衆が少なくて残念でした。それは、わたしたちのアンサンブルもそうですが、やっぱり何かを表現して伝えようとして演奏会をするのですから、たくさんの方に聴いていただくほうがいいのだと感じました。それにしても20分のミサ曲を各パート一人ずつで歌いきるというのは、大変なことだと思います。実力なしにはできません。じぶんができるかと考えただけで、胃のあたりがむかむかして、逃げ出したくなります。みな様、お疲れ様でした!

平成27年6月某日。合唱団「ある」の演奏会を聴きました。やはり、広島を代表するちゃんとした、あるクオリティーを越えた合唱団だとは思いました。各パートがちゃんとした音程の音を出していて、ちゃんとハーモニーが決まっていて、だからちゃんとした合唱団です。でも、主たる(?)メンバーの幾人かが抜けていて、ちょっと転換期にあるのかもしれないなとは感じました。わたしは3ステージの「ペチカ」がよかったです。みんなで美しいハーモニーを作ろうという気持ちが 伝わってきたからです。4ステージの取り上げているテーマの素材(主題?)には、歌ったり、聴いたりすることに抵抗を覚える人がいてもしかたがないと思いましたが、作曲家の伝えようとしている音楽的効果は十分表現されていて、質が高かったから音楽的には楽しかったです。ちゃんと意図した効果が白けずに伝わりましたし、ハーモニーも決まっていたし、迫力もそこそこありました。一度聞いてみる価値は十分に備わったステージだったように感じました。でも、もう一度聴きたいとか、じぶんも歌ってみたいとは思いませんでした。「ペチカ」は歌ってみたいと思いましたけど・・・・・・。

平成27年春。 「 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし (在原業平、古今集、伊勢物語)」。古今和歌集の選者の一人、紀貫之は業平を評して、「在原業平は、その心余りて、 言葉足らず」と。業平は、その歌に込めようとする心情が有り余っていて、表現することばがついて行っていない、というのでしょう。直情型の業平をわたくしは好ましく思います。「願はくは 花のしたにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ (西行)」。(かやだ歯科倶楽部 平成27年 5月号参照)

4月27日の日曜日に私と家内の所属する合唱団、ザ・メイプルメイツの第五回定期演奏会が、安芸区民文化センター ホールで開催されました。 そう、このコーナーの二つ前の記述の合唱団です。前回の演奏会のリベンジ成功! といったところです。Palestrinaの Missa Nigura sumは個人的な出来栄えとしては反省すべき内容でしたが、そのほかのステージは我々の合唱団の面目躍如といった感がありました。男声合唱の醍醐味、女声合唱の優雅さ、リコーダーからピアノ演奏まで飛び出し、果ては、フルートまで! 音楽三昧、音楽大好き人間のコンサートといった感じでした。ステージに立つ者が一番楽しんで失礼いたしましたが、家路に着かれるお客さんの満足そうな表情やお褒めのおことば、第四ステージの客席との一体感は、今回の演奏会が満足するに足るものであったことを示していると自負いたしています。歌を歌って伝えたいものがありました。歌いながら自制すべきという境地を垣間見ました。音楽に謙虚に浸りながら歌えるという、「大人の」合唱ができたと言っていいと思っています。欲は膨らむばかりで、Missaを満足に歌い切りたい! これが、今後の目標です。

平成26年2月某日。広島の合唱団「ぽっきり」の定期演奏会に行ってきました。若者が熱心に練習している合唱団ということで、初めて聴きに行きました。意欲的な構成で、モンテベルディや多国籍の現代曲 まで聴かせてもらいましたが、現代の日本の楽曲に、若者らしい等身大で好ましく聴かれたものがありました。若者の感性で瑞々しく、共感できる楽曲を(それがけして、コンクール向きでない単純で素直すぎる曲だとしても)歌っている姿が一番心に沁みました。最近、いわゆる「上手な」合唱団は、こねくり回したり、前衛的であったり、難解な曲を歌う傾向が強すぎるように感じるのは私だけでしょうか? 若者には若者にしか共感できない、若者こそが歌うべき歌があるはずです。そういう曲を私は聴きたいですね。しかし、「ぽっきり」は上手な若者の合唱団でしたよ。ファンになりました。

2013年の4月の末の休日に、わたくしと家内の所属している合唱団のささやかなコンサートが催されました。なぜ、ささやか、かというと、この合唱団は、お客さんの数なんてたいして問題じゃないよ、じぶんたちが満足できるような演奏ができれば、それでいいじゃないか、みたいに達観している人間がたくさん集まっているふしがあるのです。その成果が遺憾なく発揮されて、今回のコンサートも会場の席の十分の一にも満たない聴衆がちらほら居るばかりでした。これでいいんじゃないの、お客さんが少なければ緊張しなくて済むし、と、わたくしがこのコンサートでもっとも大切な楽曲と考えていたPalestrina のMissa  Nigra Sumを歌い始めたときのことです。Kyrieの冒頭から合唱は崩壊してしまったのです。何が起こったのかも、わからないうちに、わたくしはその曲を歌いきる自信を喪失していました。極度の緊張と皆の呆然とした絶望的な気持ちが、言わずもがなに伝わってきました。その曲を歌い終えることは本当に苦渋に満ちた難行でした。のどはからからになるし、早く、一刻も早く、この曲が終わってしまうことだけをただただ祈っているような有様! 4つのステージは、わたしにとっては2勝2敗でしたが、じぶんたちが満足できればこそ、聴衆なんて少なくったって構いやしない、という言い訳は通用しない結果でした。みんなが来年の意趣返しを誓う、打ち上げでのお酒は、本当にほろ苦いものでした。こんなこともあるんですね。それでも、わたくしは合唱が大好きなのです。凝りもせず、今回のコンサートの実際をじぶんの耳で聴いてみたい、という好奇心でいっぱいなのです。・・・・・・

歌は卑怯だと思いませんか? 小説家が300ページも400ページもかけて、表現して、伝えたいことを、伝えきれたかどうかも全く分からないのに、歌はほんの数分のうちに人を感動させて、涙を流させたり、生きる希望を与えたり、倒れた旅人たちを生れかわらせ、再びめぐり合わせることができるのですから。中島みゆきはわたしにとっては特別な歌手です。「今はこんなに悲しくて、涙も枯れ果てて、もう、二度と笑顔にはなれそうもない」と思った人が、時の流れのなかで、再び息を吹き返して、しっかりじぶんの足で歩き始めて、「あんな時代もあったね」、「こんな時代もあったね」と、いつか笑って話せるように、なるに違いないと、わたしは希望を捨て去りはしないのです。それが、わたしが歌い続け(嘘やたとえではなく、わたしは合唱をずっと続けています。幸福なことに、現在は最愛の妻と、同じ合唱団で歌わせていただいております)、生き続けている理由です。