読書のお話 その6

デヴィッド・フォスター・ウォレス「これは水です」読みました。2010年タイムス誌で全米第1位に選ばれた「卒業式スピーチ」だそうです。曰く「ほんとうに大切な自由というものは よく目を光らせ、しっかり意識を保ち 規律をまもり、努力を怠らず 真に他人を思いやることができて そのために一身を投げうち 飽かず積み重ね 無数のとるにたりない、ささやかな行いを 色気とはほど遠いところで 毎日つづけることです」曰く「三十歳になるまで いや、たぶん、五十歳になるまでには どうにかそれを身につけて 銃でじぶんの頭を撃ち抜きたいと 思わないようにすることです」そう言いながら三年後に鬱を病んでいたウォレスは警戒していた妻の目を盗んで首を吊って自殺した。46歳。鬱の恐ろしさというしかない。酒に溺れ、ドラッグの中毒になり、よくある展開。鬱は本気になったら死に至る病なんだ。 ところで、日本では「魚の目に水見えず、人の目に空(風)見えず」と言うんだそうな。ウォレスにとってはそれを身につける五十の歳をとることが間に合わなかったのだろうか? 

イアン・マキューアンを続けて読んでみました。手にしたのは2007年の作品「初夜」。原題は「チェジル・ビーチにて」だから、邦題はかなり読者にエロティックな期待感をもたせるものになっている。内容からして別に変ではないが、じぶんを含め男性諸氏は先入観とある種の期待をもちながら読み進めることを強いられると思う。セックスを嫌悪し肉体的にも精神的にも拒否する花嫁と女性経験の乏しい青年のまさに初夜からお話は始まる。またしても、この作家の文章は相当の美文で、原文で読んでこそその美しさや繊細さを味わえるのだろうと感じた。僕には無理だ! そうして、音楽家の才能豊かな花嫁と花婿の初夜は悲惨な結末を迎え、二人の関係は破綻してしまう。女性はその後、音楽家として開花してゆく。男性はそこそこの人生を歩んだが、一生を通じて最も純粋に激しく愛した女性は最初の花嫁以外にはなかったことを知るようになる。私なんかからすれば、セックスの伴わない夫婦関係など、特に若い頃には我慢できないことではないかと思うのだけれど、男性はあのときセックス恐怖症の女性を妻のままにしておけば、じぶんの人生はもっと別のものになっていただろうにと悔やむ部分がある。人生の岐路に立った時に神様のいたずらでちょっとした選択をしなかったせいで、人生は全く別物になってしまうのだというお話。チェジル・ビーチで若い二人がそれぞれに口にしていくことばの選択が、二人の人生を全く変えてしまった。人生の危うさと偶然の恐ろしさを感じながら読めた佳作だった。

イアン・マキューアンの「アムステルダム」を読んだ。’98のブッカー賞受賞作らしい。ストーリも大人の狂気の沙汰もぶっ飛んでいて、僕より10歳ほど年配のこの作家の50歳のころの作品だ。作品の随所にちりばめられている蘊蓄や美しい文章や人生に対する感慨は、おそらく原文を読んで英語に堪能な者にしか理解できないものだ。その気配は感じられるけど、やはりだめだ。そのような美文こそがこの作品の品性を高めているのだろうに、僕らには奇想天外にぶっ飛んだストーリーしか追っていけない。残念無念。この作家の作品をまた読み重ねていくうちに感じ取るしかないのかも知れません。