演奏会のお話

2024年3月3日。広島市にあるエリザベト音楽大学 セシリアホールでKammerchor  ” Hiroshima Kantorei”の第10回定期演奏会に出演させていただきました。メインステージはドヴォルザークのミサ曲ニ長調 作品86。今回は 吉田仁美先生のオルガンとの共演を主とした作品を取り上げておられました。途中で明らかとなったのですが、吉田先生はなんと私の大学の時の同級生吉田君の奥様だったのです! これには驚きました。メンデルスゾーン、ブルックナーなどの作品に、ビーブル、千原英喜、松下 耕、アンコールに木下牧子の作品が取り上げられ、多彩な合唱を楽しむことができました。指揮者の寺沢 希先生の指導は、とても専門的ですべての発せられる言葉は理解できませんが、刺激的でナイーブで、まさに「魂の震える」演奏ができました。いつまでこのような専門性の高い合唱団で歌い続けられるかは定かではありませんが、できる限り寺沢先生に食らいついて歌い続けていきたいと思っています。

2022年私は、広島で3つのプロの合唱団の演奏を聴くことができました。一つは東京混声合唱団。林 光の原爆を題材にした楽曲を取り上げていました。これは、その悲惨さを表現するために不協和音や恐ろし気な和音が多用された曲なのですが、あまりにも上手過ぎてそのおどろおどろしい和音さえ奇麗だと聴こえてしまいました。十分楽しみましたが、無難なプロの合唱でした。次は、歌う人ならだれでも知っているかのザ・キングズシンガーズです。1968年にケンブリッジ大学(キングズ・カレッジ)の学生6名で結成された、男声アカペラ・グループです。メンバーを替えながらそのクオリティーを保って、アカペラの「王様」、世界最高のヴォーカル・アンサンブルとしての評価を不動のものにしています。今回の公演は12月だったので、クリスマスソングも多くて、軽いノリの軽快な曲が多かったイメージでした。それでも、さすが「王様」の歌声。自分の歌声が聴こえていいときと、聴こえなくてもいいときをメンバーが完璧に理解していて、そのテクニックには脱帽。特にアジア系のテナー、ジュリアン・ グレゴリーの美声にはメロメロにされました。最後は、リトアニアの合唱団ヤウナ・ムジカ。「歌う革命」と称されるほど、合唱が盛んで、合唱によって国民の連帯や愛国心を繋いできたバルト三国のなかから、突出してきたプロの合唱団。合唱の一つの到達点を見せつけられるような、テクニックや演出のすごさに圧倒されました。しかも、たくさんの上手な合唱団の演奏会でも涙を流した経験はなかった私が、号泣しそうなほどに心を鷲掴みにされ泣かされた唯一の演奏会でした。私だけでなく、会場のあちらこちらからすすり泣く声が聞えてきました。それは、実は最後のアンコールの 日本語の合唱曲を聴いた途端のことでした。「さらばふるさと、さらば友よ、健やかにあれ」と歌う「健やかにあれ」と聴いた瞬間でした。「彼らは凄腕の技術を凝らして歌うことを見せつけてくれたけれど、僕たちに向かって歌ってくれていたんだ」と悟った途端に、会場が号泣の渦に巻き込まれてしまったのです。歌は技術も動機も演出も大切だけれど、観客席に向かって歌ってくれているのだ、という音楽の当たり前のことを見せつけられることがなんと異例で大切なことなのかと、思い知らされた一瞬でした。

2020年11月28日。広島市エリザベト音楽大学セシリアホールで開催された、「平和と希望のコンサートIII」に個人参加致しました。東京混声合唱団の指揮者でNHK FM「ビバ!合唱」パーソナリティーの大谷研二先生の指揮で歌ってみたくて参加を決めました。昨年6月の開催予定がコロナの関係で延期され、ぎりぎりのタイミングで1128日に開催されました。このコンサートの模様がユーチューブで配信されております。私は大谷先生指揮の一般混声の部に参加致しまして、最後の三曲を歌いました。信長貴富さん作曲の「くちびるに歌を」は大変素敵な楽曲でしたが、個人参加のため音取りから一人で始め大変でした。テナーパートの最前列で鼻を出して、おでこの広いのが私です。大谷先生の指揮は曲の解釈が明確で、歌い方の指示もデリケートにしていただいたため、大変歌い易かったです。指揮者のいない私たち夫婦の今所属しているアンサンブルはジャズのような駆け引きの妙があってそれはそれで楽しいのですが、指揮者のある合唱も大勢のみんなが一丸となるような喜びがありました。お時間がございますおり、お聞きいただけますと幸いです。

2019年10月5日。我が合唱団の主催者高橋 信先生は外科医でありながらプロ級のベースソリストなのです。御年七十うん歳。メスを置かれ、現役を引退されて、満を持してのシューベルトの「冬の旅」のリサイタルが ありました。先生の想いのこもった抑制のよく効いた演奏会のように感じました。一時間半に及ぶ全24曲を歌い切られた先生の御様子は満足感に満ちておられました。苦しく厳しい練習を重ねてきた者にだけ音楽の神様が許される恩寵。お顔は本当に満足感に輝いておいででした。わたしは「冬の旅」のなんたるかや、ベースソロのテクニックや勘所などは何もわからない素人ですが、曲の詩の内容を完璧に理解しながら感情のこもった柔らかなpが圧巻であったことくらいは感じることができました。ピアニストは我らが団のソプラノ兼ピアニストの丸山恵子さんでした。先生をしっかりと支えておられました。

2015年8月某日。「国連合唱団 平和と希望のコンサート 広島公演」に行ってきました。まあ、盛りだくさんのコンサートで少し疲れましたが、楽しめましたし、思うところの多かったコンサートでした。13か国っていわれていましたか(?)、国連の職員のつくった合唱団で、世界各国で演奏されているそうです。けして、プロのような上手で圧倒的な発声をしているのではなく、ごく自然体で皆さんが気持ちよさそうに声を出されていて、ハモッたときにはボーっというような低音の倍音が聴こえて不思議な魅力のある合唱団です。今回聴いたのは前回の広島公演とあわせて二度目になります。あまりに軽やかで、もう少し思い入れの深い曲も聴いてみたかったようにも思います。加藤登紀子とのコラボで、広島愛の川や百万本のバラを歌ったときに、お登紀さんにあおられての熱唱がやはり圧巻でした。アフリカの伝統的な楽器ニャティティの世界初の女性奏者(現地では限られた男性にだけ演奏が許されているのだそうです)、アニャンゴ(Anyango;午前中に生まれた女の子という意味だそうです。日本人ですよ!)さんの演奏と歌声は、力強くて懐かしくて、伸びやかな気持ちの良い歌声で、ああ、気持ちよかった。久石譲の娘さんの麻衣さんの歌声も素直できれいでした。東京混声合唱団指揮者の大谷研二の指揮による平和と希望の合唱団広島の合唱もさすがでした。 やはり、合唱は指揮者次第ですね!!山本観山の尺八もあったりして、国連合唱団の演奏がややかすみ気味だったでしょうか!?

2002年にNHKホールで行われたフォーク・クルセダーズの「再結成記念・解散コンサート」の模様をNHKアーカイブズで観ました。このグループ、実は家内の大好きなアーティストですが、わたしは存在すら知りませんでした(勿論、世に送り出された楽曲の多くはよく耳に馴染んだものではありましたが)。作詞を多く手掛けた、きたやまおさむ 氏は九州大学医学部の教授を勤め上げた人です。このグループは「帰ってきた酔っぱらい」というデビュー曲で注目されながら、一年しか活動をしなかったのだそうです。作曲の加藤和彦は、「あの素晴らしい愛をもう一度」「悲しくてやりきれない」などの作曲家です。知的で、反戦的で(「戦争を知らない子どもたち」は、きたやまの作詞、杉田二郎作曲です)、メッセージ性と知的なエスプリに満ちた、それでいてやわらかなハモリをもち、泉谷しげるや吉田拓郎、竹内まりやなどに影響を与えた、スケールの大きなアーティストです。端田宣彦の代わりを務めたのは、坂崎幸之助。一夜だけの再結成。そしてフェアウエルコンサートだったのです。ウィットに富んで、しかも、穏やかに真剣で、覚悟の籠った音楽に圧倒されました。一気にファンになりました。この模様を収めた録画は愛蔵版にします。きたやま先生! いつか、家内に会って一言声を掛けてやってください。生きる勇気を分けてもらえるに違いありませんから……。

2014年9月15日広島エリザベト音大のセシリアホールで催されたヒリヤード・アンサンブルのコンサートを聴きに行きました。 結成40年になる世界的に評価の高い最高峰の室内声楽アンサンブルです。一級品でした。引退が近いため最後の日本公演だそうです。絶頂期は過ぎているのでしょうが、アンサンブルの妙は素晴らしかったです。ゆるぎないハーモニーと少し翳りを含んだゆらいだハーモニーは、若い人にはまねのできない、渋みとさえ感じられました。ミスタッチが目立った晩年のホロヴィッツは、それでもやはりホロヴィッツだと唸らせたと聞いたような覚えがありますが、そんな感じでした。感極まって涙の流れるようなコンサートではなかったのですが、淡々とした心に沁みる穏やかな逸品ではありました。家内と義母と三人で素敵な思い出のコンサートとなりました。

2014年3月9日、広島シティーオペラ2014、MADAMA BUTERFLYを聴いてまいりました。感動的な、説得力のある公演で、満足いたしました。ちょっと、オペラもいいなあ、と思ってしまいました。あまり熱心なオペラファンに なってしまうと、財布の中身が心もとなくなってしまうかも知れませんので、平常心を保ったオペラファンに留まりたいと存じます。

東京、大阪、広島で、2011年にエリザベス女王から音楽メダルを贈られたソプラノのエマ・カークビーを迎えて、リュートのつのだたかし、メゾ・ソプラノの波多野睦美によるコンサートがありました。私も家内も大の波多野、つのだファンです。その上に素晴らしい一流のアーティストとの共演、聴かないわけにはいきません。一ステのカークビーによるダウランド(今年はくしくもジョン・ダウランド生誕450年だとか)は、息の詰まるような緊張感に満ちたものでした。素晴らしいけど、聴衆のエチケットの悪さもちょっとあったりして、カークビーは広島に来たことを喜んでいるようには見えませんでした。ところが、第二ステージのモンテベルディは波多野のソロに触発されたかのように、女王カークビーの目の色が変わりました。カークビーと波多野のデュエットのやりとりの迫力は素晴らしかった。息が合うということばそのままに、見ていて、聴いていて、鳥肌の立つような完成度の高い声楽を聴かせてもらえました。素人のわたしだって、ついお調子に乗ってしまうくらい、思わず顔がほころび、ため息が漏れ、至福の時でした。そこに洗練されたつのだのリュートが混じり合って、モー、最高! 広島のファンだってそこは皆が感じたのです。突然の拍手に、演奏家の顔がほころび、鳴り止まぬ拍手に、三人がなにやら緊急の打ち合わせをしたり。エマ・カークビーは広島に来たことをけっして後悔などしないだろう、とわたしも家内も確信して、なにやらホットした心持で、至福に満ちた心持で家路に着いたのでした。

7月28日、ヤングピープルズ・コーラス・オブ・ニューヨークシティの広島公演を聴いてきました。以前聴いた国連合唱団のようなおおらかな荒削りの楽しい合唱くらいかなと、タカをくくって行ったのですが、とんでもない大間違いでした。これぞコーラス! という、なんとも繊細で美しい完璧なハモりをもった素晴らしい 合唱団でした。大満足! しかも、42名が皆、高校生という若さ、みずみずしい若者たちだったのです。可憐な乙女たち、男らしさの現れてきた青年。侮るなかれ1200名から選び抜かれた精鋭だったのです。上手いはずです。ダンスあり手拍子、足拍子ありのからだ全体で表現するパフォーマンスはまさにプロとしか言いようがないほど。すべての曲が手抜きのない圧巻でした。ウェスト サイド ストリー メドレーや黒人霊歌、フォスターなどはやはり本場だなあと、聞き惚れたのですが、ビットリアのモテト、佐村河内 守さんのレクイエム ヒロシマなどはもう完全にやられたという重厚なハーモニー、ポリフォニーでした。ところが、わたしがこのコンサートで一番感動して涙が止まらなかった曲は、なんとあの「夏の思い出」だったのです。繊細で、ことばをこの上もなく大切に、せつせつと歌い上げたこの曲は、文句なしの絶品でした。ああ、いいコンサート、満足のいく至福のコンサートを聴けて、今日はいい日だったなあ、と家内と二人して幸せな一日とはなったのでした。佐村河内 守さんの「交響曲第一番」という奇跡のような本を読んで、実際に「交響曲第一番」をCDで聴いたばかりだったので、レクイエム ヒロシマも楽しみにしていたのですが、想像を上回る素晴らしい曲でした。重厚な鎮魂歌でありました。ぜひ、いつか歌ってみたいと切に思ったのです。

広島オペラルネッサンスとゲスト、広響によるモーツァルトの歌劇「魔笛」を聴きに行きました。本格的なオペラ初体験でしたが、席があまり良くなかった(高い席は手が出ませんでした)ため、音響が悪く、迫力もなく、精彩を欠くものでした。それにしても、3時間は長かった! ロビーでグラスワインを販売していましたが、酒でも飲んでほろ酔い加減でないとダメですね。長丁場を堪能するには、聴衆を納得させる相当の実力の出演者と条件の良い高価な席が必要なことがよく分かりました。

東京文化会館で開催された「舘野 泉フェスティヴァルー左手の音楽祭」を聴きました。わざわざ、東京までコンサートのためだけに行くほど優雅な生活は送っていませんので、東京の大学にいる次男の手の付けられない混乱した部屋の大掃除を兼ねて、夫婦二人で上京したのです。舘野さんは、長くピアニストとして活躍されていたところ、突然の脳梗塞で半身不随となったのですが、左手だけでみごとカムバックを果たされて、演奏活動を再開されている方です。左手だけでも、十分にプロのピアニストが演奏できる楽曲を作曲してくれる、作曲家(林 光、吉松 隆、松平頼暁、末松保雄、cobaなど、外国にも左手だけで演奏する作品はラベルやバッハ、ブラームスにもあるようです)に恵まれたことも大きいのですが、なにより舘野さんの片手でも音楽をしたいという切望が具現化しているのです。素晴らしい会場で、感動的な演奏がなされたことは言うまでもありません。最後のアンコールでは、それまでだらりと垂れさがっていた舘野さんの右手が、突然鍵盤のうえに持ち上がって、左手に寄り添うように鍵盤を叩いたのです! 奇跡を見るような想いでした。右手が鍵盤を叩き音が出たかどうか、ずぶの素人のわたしにはわかる由もありませんが、この際、それは大きな問題ではありません。右手の麻痺した音楽家の執念が両手を鍵盤の上に引き寄せたのですから―。舘野さんは吉松 隆とのコンビでは本年のNHKの大河ドラマ「平 清盛」のテーマ音楽のソリストもつとめています。