映画のお話

ロバート・デニーロとアン・ハサウェイの出演する「マイ・インターン」を家内が観たいというので映画館に足を運んだのでした。あまり期待もせずに見始めた映画は、デニーロ演じる大人の 映画でした。ストーリーそのものよりも、キャストそれぞれの演じる人生が励ましや希望に満ちていて、それに加えて人生の厳しさや悲しみに満ちていて、それぞれの人生が重く、重なり合って、古めかしくても良いものは良いのだという良識に満ちていて、いい映画でした。「久しぶりに映画らしい映画だったね」と言った家内のことばがすべてを言い表していました。どこがよかったとか、どこがすごかったとか、そういう理屈を越えて、いいものはいいのです。

家内の好きな樹木希林の出演する「あん」を観てきました。後悔と苦渋にさいなまれる青年が、不遇な人生を歩んできた年老いた希林婆ちゃんに、逆に優しく慰められる場面は、希林婆ちゃんが神々しく、胸が打ち震えるようでした。溢れる涙を止めることができませんでした。それにしても、希林婆ちゃんはハンセン氏病患者だったんですね。人生を踏みにじられたこの疾患の人々の生活や生涯がリアリティーを持って描かれていました。なんの知識も持たないわたしのような人間が、この疾患と差別に苦しんだ人々について軽々に何か申し上げることは、差し控えるべきだと思います。マスコミが希林さんにこの映画の事をインタビューしても、この疾患には触れなかったことも、上映会場も回数も少ない 理由も、合点がいきました。このひたひたと訴えかける力作が、徐々に評価を得て、ロングランとなり、多くの映画館で上映され、多くの人々の目に触れることを祈るばかりです。

クリーンスト・イーストウッド監督の「ジャージー・ボーイズ」を観てきました。特にどこか秀でた傑作というのではありませんが、どこにでもあるスター誕生とその末路を丁寧に描いた佳作ではありました。フォーシーズンズというのですか(?)、実在の男声4人のグループです。ハーモニーがよくて、コーラス好きの私たち夫婦には、魅かれるところ大でした。ああ、この曲もこの人達のヒットソングだったんだ、と、懐かしくも感心して聴き入りました。音楽の溢れる映画は、それだけでわたしたちには御馳走でした。

何かと話題の「アナと雪の女王」を見ました。アルデール王国の女王エルサと妹アナの真実の愛を巡るお話ですが、わたしの記憶に鮮明に刻み込まれたのは、むしろ、アナのヒーロー役の山男クリストフやその相棒のトナカイ、スヴェン、それと魔法の雪だるまオラフたちの、無償の愛でした。アナを最愛に思うが故に 身を引く覚悟をもっていたクリストフやアナが幸せになるのなら、じぶんは溶けてしまってもいいという、掛け値無しの無償の愛を示した御茶目なオラフの言葉には、目頭が熱くなりました。ユーモアたっぷりのオラフの発する、「アナが幸せになるのなら僕は溶けてしまったっていいよ」という言葉は、この美術的にもレベルの高いディズニー映画のなかにあって、もっとも心を打たれた場面でした。鯱鉾ばった気取った場面にもまして、ユーモアたっぷりの気の置けないオラフの発する言葉は、人間の目指すべき尊い到達点を如実に示してくれていたと感じたのです。ユーモアと真実は、まさに背中合わせなのです。ディズニーのアニメの完成度は、ちょっとすごい! ジブリのそれとは、別の意味でまた違った凄さがあります。美的完成度は芸術のレベルです。ストーリーの完成度は、原作のアンデルセン作品とは異質のものです。ディズニーはやっぱり、凄いです。子どもたちを、ディズニーアニメを見せ続けて育てたことは、我われ夫婦の誇るべき「反過ち」だと再認識したのです。

百田尚樹さん原作の映画「永遠の0」を観てきました。このところ話題の戦闘機ゼロ戦の天才的パイロットのお話で、戦争の悲惨さを改めて痛感させられたわけです。岡田准一扮する主人公の宮部久蔵は「じぶんが死んでもこの戦況にはなんの影響もないが、家族にとっては人生がめちゃくちゃになる、だから、じぶんは死にたくはない」とはっきりと主張して、「海軍一の臆病者」とのレッテルを貼られるのですが、夫婦愛、家族愛、人間愛を貫き通す宮部に一目置いて敬愛する同輩や後輩が増えていきます。「じぶんは死なずに帰ってくる、たとえ死んでも、生まれ変わってでも帰ってくる」という妻との約束は意外なかたちで守られます。宮部は特攻で次々と死んでいく教え子たちと妻との約束の狭間で苦悩し、最後には自ら特攻に・・・・・・。じり貧の戦争のただなかに、礼儀正しく愛を貫き通そうとする若者の眩しさに、随所で涙させられましたが、改めて戦争の空しさを感じるとともに、じぶんたちの子どもたちに同じような思いをさせるような時代の到来をけっして二度と許してはいけないと強く思いながら観ていました。もう一つ、時代がいかに間違った方向に流れ始めて、それに抗う発言をすることが大変な代償を払わされるかもしれないとしても、人としての真を貫き通すことの大切さを感じたのです。政治向きの話は好きではありませんが、子や孫や将来の子孫に負の遺産を背負い込ませるかも知れない、エネルギー政策や発言の自由を損ないかねない法律の成立や運用には、勇気をもって主権者の意見を発信し続けることの大切さを思ったのでした。明日には特攻として飛び立とうという日に、河原の冷たい水に足を浸けながら、美しい自然のなかで、宮部が共に飛び立つ教え子と話している場面が印象的でした。教え子は言います。「宮部さん、この戦争が終わって、ずっと先のこの国はどんな国になっているんでしょうね?」と。戦争を生き延びてくれた、我々すべての父祖、曾爺さん、母、祖母、曾婆さんたち・・・・・・、思えば、我々すべては同じように戦火を凌ぎ、潜り抜けてくれた先人とまったく同じ、戦争を生き延び続けている人間なのです。我々すべてが、等しく、この国を大切に見守っていくことの責任を負った生き残った人間だと思いませんか?

何かと話題の宮崎 駿 監督の「風立ちぬ」を見てきました。第一印象 は、なんと美しい日本語の溢れている映画なのかというものでした。礼儀正しく、勤勉で、美しい敬語の使える主人公の青年は、けっして筋骨逞しい男ではないのですが、仕事に心血を注ぐ清々しい生きざまは、なんとも男らしい、さすが日本男児という好青年でした。宮崎監督の理想とする日本男児なのでしょう。アシタカやさつきやメイの父親を彷彿とさせ、ダブって見えたのは私だけでしょうか。そこに、可憐でなんとも楚々とした優しさに満ち、しかしその優しさのうちに気骨を秘めた最愛の人が現れ結ばれるのですが、この女性も美しい日本語を話す、清らかな乙女でした。この二人の運命がどのように転ぼうと、年を重ね過ぎた私にはそういうことも人生にはあるよな、というオジサンの諦念でしたが、二人の凛として背筋の伸びた潔い生きざまは十分胸に迫って流れる涙を止めることはできなかったのです。宮崎監督が日本人かくあれかし、と訴えかけているように思われて仕方ありませんでした。

奇跡のリンゴをみました。本は読んでいましたから、ストリーは分かっていたのですが、やはり、泣けました。十年間、一つのことに没頭して、家族を赤貧の地獄の道連れにして、自死の直前まで自分を追いつめて、そうしてやっと得られるものが、人生には実際にあるのだということを改めてみせつけられたのです。たった一度きりの人生、じぶんが納得できるまで、ぼろぼろになるまで何かに没頭して、世間からは気違い扱いされ、なにか突き詰めてもいいのではないでしょうか? 世間からは、落ちこぼれのように言われても、それが何だというのでしょう。他人なんて、なんにもじぶんを助けてくれはしないのです。ただ、陰口や、非難をするだけです。世間の望むように、生きる必要などありません。周りに振り回されるのは馬鹿みたいです。じぶんのすることは、じぶんだけが責任をとればいいのです。生きたいように生きることの、難しさと大切さを教えてくれる作品でした。

ライフ・オブ・パイ、パイは例の円周率のことです。パイと呼ばれた青年が、太平洋を渡航中に嵐にあって、船はあえなく沈没。家族とは言葉を交わす暇もなく引き裂かれ、救命ボートでのタイガー(本物のトラですよ!)とパイだけの漂流が始まったのです。青年が生き抜くための知恵と勇気と猛獣さえも手なずけ、やがて漂流を生き抜くための同志のような緊密ささえ芽生えて・・・・・・。海の上での大自然の雄大さと荒々しさ、美しさは、息をのむようにみごとに表現されて迫力満点。さすがに、オスカーにノミネートされるだけのことはあります。やがて、一人と一匹は衰弱し、瀕死のトラを膝に抱えて、パイはお前を救えなくてごめんよと―。しかし、野生の本能をもったトラと人間に友情が芽生えるはずは、ないのです。そこのところの、つばぜり合いというか、どちが強い主なのかという、駆け引きは臨場感があり、この映画を陳腐なものにしていません。「家族ともトラとも、言葉を交わす暇もなく別れねばならなかった」ことがパイを苦しめます。漂流の最中になんども神を見、存在を感じるパイは、「タイガーがいてくれたから、漂流を乗り切ることができた」のです。

ヴィクトル.ユゴー原作のミュージカル映画「レ.ミゼラブル」を見てきました。文句なしのきっちりとした大作でした。ジャンバルジャンの正しい生き方を貫いて、最後に神の祝福を受けるようになる生き様は、言うは易いけれど、それを白けず納得させるように描ききることは、文学でも映画でも相当大変なことなのだと思います。人道愛、肉親の愛情、恋愛、青年の無垢と理想、そうしてキリスト教世界の神の愛、革命に翻弄されるフランス社会、どれも真正面から描き切られていて、感涙するばかりではなく、そこには涙よりもっと深い感銘や感動がありました。だから、文句なしの映画でした。3時間があっというまに過ぎ去っていました。スケールの大きなこんな映画もたまにはいいものです。

 「ツナグ」を見てきました。最初、説明的で、ストーリーも陳腐で、退屈な感じで見ていたのですが、それぞれの場面に真実のきらめきがちらちらと現れるようになり、気が付いてみれば、号泣をこらえている自分がいました。けして大作ではありませんが、生きることの難しさと素敵さをそっと語りかけている映画に引き込まれました。樹木希林は家内のお気に入りの女優さんなのですが、やはりいいですね。だんだん良くなります。これからが、ますます楽しみです。主役の青年も好感のもてる俳優です。私は、名前すら初めての青年でしたが・・・・・・。

 高倉 健と田中裕子の「あなたへ」を見てきました。ストーリーはありがちなお話ではありましたが、高倉 健の実直な演技と、おそらく素の生真面目さは、大人の男を演じて、映画全体の質を高いものにしていました。映画のなかで田中裕子の素直な声で歌われていた曲が印象に残りましたが、エンドロールで宮沢賢治の「星めぐりの歌」と分かり、さすが賢治の感性豊かな歌詞だったのだと納得。取り巻きの出演者も味わいを醸し出していました。佐藤浩市、大滝秀治、余 貴美子、長塚京三、原田美枝子、ビートたけし、草彅 剛など名前を聞くだけでも楽しみになりますよね。

 5月13日、母の日に妻と二人で映画「わが母の記」を見ました。別に母の日だからという訳ではなかったのですが、母の日にふさわしい映画でした。丁寧に作られていた佳作でした。久しぶりに、井上靖を読みたくなりました。「しろばんば」や「夏草冬波」を懐かしく思い出しながら、映画の世界にしばし浸ることができました。

 最近立て続けに素敵な映画に巡り会えました。一つは「ヒューゴの不思議な発見」。これは、なかなか玄人受けするような味わいのある映画でした。主役のヒューゴ少年も可愛らしくて、けなげで、ああ、派手ではないけど映画らしい映画だな、というような滋味深い映画でした。「戦火の馬」はスピルバーグの最新作。最後は感涙。なぜ、涙が出て感激するんだろう? と思いながら感動しているんですね。よくよく思い起こしてみると、人々の良心というか、善意というか、そんなものに感動しているのだろうか、と美しい大団円の情景を見ながら思っていました。「いい映画だったね」という妻のことばに納得の映画でした。アカデミー賞が少ないとかなんとかいうことは、この際たいした問題ではありません。

 「Always 三丁目の夕日 64」を見ました。まさに、同時代を子どもとして過ごしていた良き時代の作品だから、前作から懐かしくてしょうがなかったのですが、今回のは、泣かすように創られていて、気持ちよく散々泣かされました。あのような強い父親、朴訥な父親になれればよいのですが、現実はなかなか我が子を谷底に突き落とすことはできません。なんとも情けなく子どもに甘い父親にしかなれない自分の女々しさ。あれは映画の中のお話だだからと言っているようでは、世の中何も変わらないし、自分も変わりようがないと、わたしは信じたい。世にフィクションは多いけれど、それを絵空事と思っている人ばかりでは、世の中があまりにも寂しいですよね。

 チャン・イーモウ監督の「サンザシの樹の下で」という中国映画を家内と見てきました。プラトニックラブなどという使い古されたことばでは表現したくありません。とても淡々とした映画でしたが、最後のクライマックスでは涙で腰が抜けて、エンドロールの間身動きができませんでした。サロンシネマの方もしめやかな感じで、観客を見送ってくれていたのが印象的でした。大切なことばは、大げさな準備されたシチュエイションで発せられるのではなくて、なにげない日常のやり取りの中で伝えられるんですね。「一生君を待ち続ける」という青年のことばは、天国においてまで約束されたことばだったのです。

 家内と映画「素敵な金縛り」を50歳以上夫婦割引で見てきました。面白かったです。11月5日にあったテレビでのこの映画の宣伝用のパロディードラマも劣らず抱腹絶倒ものでした!