私の特徴
1.口腔外科が専門です 私は大学病院の口腔外科に13年間勤務していたので、口腔外科的な診断や治療が得意です。また、歯科治療中に気分が悪くなったりしたとき的確に対応できて安心です。どうすれば治療中に気分が悪くなりにくいかもよく知っています。 2.全身管理ができます 3.難しい抜歯が得意です 4.蓄膿症やオタフクカゼなどの診断ができます 5.口腔がんの発見 6.歯の移植術が得意です 7.滅菌、消毒などに気を配っています 8.予防に力を入れています 9. 広島市西区の川本内科・呼吸器内科クリニック, いびき・睡眠時無呼吸管理センター(082-292-3669)の川本 仁先生にご指導いただいて, 閉塞性睡眠時無呼吸症の治療をおこなっています。令和6年2月現在、口腔内装置〈マウスピース〉で治療した患者さんは約950症例です。 http://www.kawamoto-clinic.net/index.html 10.3Mix法という優れた治療法を取り入れています。従来なら神経(歯髄)を取っていた症例でも保存の可能性が! 「神経」を取ってしまうと水分で潤っていた歯(象牙質)は、枯れ木のようになって、割れる可能性が高くなってしまいます。 |
お知らせ
*****歯科治療とは直接には関係ありませんが、私にとってかけがえのない、私を支えてくれる、文学や音楽、美術に対する私の想いを綴った「院長コラム」欄を、左端メニューに追加いたしました。私と初対面となるまえに、私の人となりをご理解いただくために参考にしていただけると幸いです**** 谷川俊太郎さんが2024年11月13日に老衰のため亡くなられた。92歳だった。僕たちは生きるための大切なよすがの一つを失くしてしまった! これは大変なことになってしまった、けれど、谷川さんはここしばらくずっと待ち望んでいた死をやっと迎えることができたのらしい。その先にあるものを楽しみながら想像する。それはもちろんわからないものなのだけれど、そのときから何かが始まる、という確信に満ちたものがあったらしい(谷川俊太郎さんを悼む 佐々木幹郎 詩人、2024年11月20日朝日新聞)。 「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに/何かとんでもないおとし物を/僕はしてしまったらしい(「かなしみ」『二十億光年の孤独(1952)』)」 「そして私はいつか/どこかから来て/不意にこの芝生の上に立っていた/なすべきことはすべて/私の細胞が記憶していた/だから私は人間の形をし/幸せについて語りさえしたのだ(「芝生」『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった(1975)』 )」 「目が覚める/庭の紅葉が見える/昨日を思い出す/まだ生きているんだ」(中略)「どこも痛くない/痒くもないのに感謝/いったい誰に?/神に?/世界に? 宇宙に?/分からないが/感謝の念だけは残る(「感謝」2024年11月17日朝日新聞) 」 何かとてつもなく大切なものを、また一つ僕たちは失ってしまったのだ。 「とんでもないおとし物」。 谷川さんはそんなふうには、これっぽちも思っていないにちがいないけれど 。僕らは人生がまた一つ損なわれてしまった。「孤独」としか言いようのない、さみしさであり、こころ細さ! きっと僕らはそのような心もとなさを積み重ねながら、じぶんの順番が回ってくるのをじっと待っているしかないのだろう。谷川さんのように、心待ちにできたらどんなになか素敵だろう。 茅田は五日市の山根歯科医院で診療をさせていただいております。 院長の体調が悪いわけではありません。かやだ歯科医院の同じ場所で歯科医院を継続してくれるという後輩とのタイミングが合って、このたびの歯科医院の引継ぎとなりました。引き継いでいただくのは、小さなころかやだ歯科医院に通院してくれていた八百谷一希先生ご夫妻です。わたしと同じ広島大学のご卒業です。 茅田は五日市の山根歯科医院に籍を置かせていただいて 、基本的には週三~四日(火、木、金、土曜日を中心の診療が基本ですが、不定休がございます。ご容赦ください)歯科診療を継続いたしております。山根歯科医院は予約制ではありませんが、茅田はこれまでどおり予約で診せていただいております。お気軽にお立ち寄りください。お待ちいたしております。 山根歯科医院;JR五日市駅南口徒歩2分、宮島街道沿い( ℡082-923-3123、広島市佐伯区旭園4-29山根ビル2階、エレベーターがあり、20台分くらいの駐車場もあります)
『憎んでいる時間はありません。痛みをどう使えばいいのか、それを学ぶ必要があります。血ではなく平和のために投資してください。私たちはそう言い続けています。パレスチナでは、無知とだけは知り合いになるな、と言われています。私たちはイスラエル人とは話しません。許可されていないんです。パレスチナ人もイスラエル人も、互いに話したいとは思っていません。だから相手がどんな人間なのか想像できない。そこに狂気が潜んでいます。どんなに沈黙が支配しているように見えても、私たちに声がないわけではありません。私たちはこの土地でどうすれば一緒に暮らせるか、それを学ぶ必要があります。死んでから墓の中で共存し合ってもしかたないでしょう。 私たちパレスチナ人は、多くの人にとって人間として存在していません。私たちは公的にはどこの国の人間でもないんです。一箇所だけ、あなた方の刑務所でなら私は存在するかもしれません。 殺し合いを続けなければならないなんて、どこにも書いてないでしょう? 彼らは私の娘といっしょに私の恐怖心まで殺しました。 私自身が占領されず、権利を持ち、移動が許され、投票が許され、人間であることが許されれば、何だって可能です。』 (コラム・マッキャン「無限角形 1001の砂漠の断章」) 内田 樹という人が言っています。「死者は死んでもう存在しないから、私たちには何の関係気もない」などとお気楽なことを言う人間は文学とも哲学ともついに無縁である、と。 「人間が生きていることと、生きていないことの垣根はそんなに高くない」 私の最後のことばです。皆様、ごきげんよう!さようなら!(かやだ)
坂本龍一がつい先ごろ亡くなった。70代前半じゃないかと思う。また、早すぎる死。坂本龍一と福岡伸一の対談「音楽と生命」を読んだ。福岡先生の著作は何冊か読んだことがあったから、先生の思考の方向はおおよその見当がついていた。坂本龍一の音楽をとりたてて聴いていたわけではない。むしろほとんど受動的に耳にしてきただけだ。しかし、この人がとても博識で音楽以外の事柄にも豊富な知識を持っていたことには驚かされた。二人の会話はいつもロゴスとピュシスの対立ということに話題が収斂していくのだそうな。簡便に言ってしまうと、ロゴスとは人間の考え方、言葉、論理といったもので、ピュシスとは人間も含めた自然そのものらしい。一本の木が若葉を茂らせる時から樹齢を重ね倒木となる時まで多くの生命を育み、大きな自然の連環を形作ると同じように、人間の死も次の世代にある種の贈与を残す利他的行為だと言う。個体の生命が有限であることが、すべての文化的、芸術的、あるいは学術的な活動のモチベーションになっているのだと。 鷲田清一先生、折々のことば(朝日新聞)から 幸福を買いにゆくのに 買物籠なんかいりませんよ 幸福は 素手で持ってくるにかぎる! (寺山修司) これよりほかに道はない、と覚悟した瞬間から始まる道があります。 (最相葉月) 人としては善にほこらず物と争はざるを徳とす。他にまさることのあるは大きなる失なり。(兼好法師)
「彼女は無言だった。だが死が彼女に作用しているのがわたしにはわかった。死には癒しの力がある。死は人に許すことを教え、独りぼっちで死ぬのはいやだと気づかせる。(中略)「ママ」「ああ、あたしのママ」息子も泣いていて、彼は姉を抱きしめ、姉もこんどは腕の中でゆらゆら揺られるに任せていた。わたしはそっとキッチンを出て、裏口から外に出た」 (ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引書」(A Manual for Cleaning Women)) 失敗を恐れずに挑戦する。やらずに後悔するよりは、やって失敗する方がいい。何も挑戦しないのが一番の失敗だ。(山中伸弥「挑戦 常識のブレーキをはずせ」) 「強くなければ見えない景色は確実にあると思うので、そうした景色を見るところまで行きたい」(藤井聡太「挑戦 常識のブレーキをはずせ」) まるでこの世界ではなく、すでに別の世界に生きているみたいだ。フィンセント・ファン・ゴッホ『ファン・ゴッホの手紙』(坂口恭平「土になる」) 死者を悼む長い時間のなかで、死者は死者として存在感を持ち始めました。別のいのちを与えられたかのようです。死者には死者の人生があり、死後の人生は彼らを愛する人の中にあります。むしろ自分の距離は近くなり、境目が薄れてきたように思います。いなくなって悲しい、から、いてくれてありがとうへ。懐かしい人は、いつも彼らを愛した人のそばにいるのです。(千葉 望「大切な人は今もそこにいる」) 「ウェルギリウスの『アイエーネス』の有名なラテン語の名言。スント・ラクリマエ・レールム―物事の底には涙がある。悲しみと苦しみがわたしたちの存在の本質だということ。 誰に恋をするかは自分で選べるわけじゃない。そうでしょう? 」 (イアン・マキューアン「恋するアダム」)
沢田英男さんという木彫刻の「かたわらに」という彫刻作品集を手にした。40年の彫刻家としてのキャリヤを捨てて、小さな手に取れるような作品を作り始めるにはドイツ留学の経験が大きかったようだ。「ドイツでは靴屋で靴を買うようにじぶんの彫刻作品を買ってもらった」そうだ。小さな、表現を削ぎ落したような作品群の作品集である。「最初は手も足も作りますが、手足を取ったり、表面を荒らしたりして、作った形をわざと壊します」と語っておられる。「形を壊すことで偶然をよびこみ、そこにおどろきや発見があったとき新しいものができる」と。「かたわらに置ける彫刻があっていい。小さいもの、か弱いもの、孤独のなかにこそ美はあると思う」と沢田さんは言います。庶民でも手に取って、持ち帰ってもらえるような作品が作りたくなられたのかも知れない。私の敬愛する木村繁之さんの木彫刻作品と相通ずるところがある。似ている。
2020年11月28日。広島市エリザベト音楽大学セシリアホールで開催された、「平和と希望のコンサートIII」に個人参加致しました。東京混声合唱団の指揮者でNHK FM「ビバ!合唱」パーソナリティーの大谷研二先生の指揮で歌ってみたくて参加を決めました。昨年6月の開催予定がコロナの関係で延期され、ぎりぎりのタイミングで11月28日に開催されました。このコンサートの模様がユーチューブで配信されております。私は大谷先生指揮の一般混声の部に参加致しまして、最後の三曲を歌いました。信長貴富さん作曲の「くちびるに歌を」は大変素敵な楽曲でしたが、個人参加のため音取りから一人で始め大変でした。テナーパートの最前列で鼻を出して、おでこの広いのが私です。大谷先生の指揮は曲の解釈が明確で、歌い方の指示もデリケートにしていただいたため、大変歌い易かったです。指揮者のいない私たち夫婦の今所属しているアンサンブルはジャズのような駆け引きの妙があってそれはそれで楽しいのですが、指揮者のある合唱も大勢のみんなが一丸となるような喜びがありました。お時間がございますおり、お聞きいただけますと幸いです。 「僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。病原体にしてみれば、本来の生息地でのんびりやっていただけなのだが。多くの動物がどんどん絶滅していくために、その腸に生息していた細菌は別のどこかへの引っ越しを余儀なくされている。家畜の過密飼育は図らずも培養の適地となり、そこではありとあらゆる微生物が増殖している」(パオロ・ジョルダーノ「コロナの時代の僕ら」) 再 会
誰もいない
校庭をめぐって
松の下にきたら
秋がひっそりと立っていた
私は黙って手をのばし
秋も黙って手をのばし
まばたきもせずに見つめ合った
早 春
雀の声の変わったような
青い空がかすむような
ああ土のにおいがかぎたい
その春にほおずりしたい
何を求めていいのやら
ああ土の上を転げまわりたい
きっとしまっているような
淡い眠りの中の夢のような
生きなければいけないけれど
何だか死んでもいいような
去年の春女(あのひと)がくれた山桜
まぶたの中に浮かぶような
(矢沢 宰、 詩集「光る砂漠」)
「教室の窓より遁げて(にげて)ただ一人かの城址(しろあと)に寝に行きしかな」
「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」
(石川啄木、 詩集「一握の砂」)
「 オルガは目を開いた。一瞬視線をさまよわせたが、ぼくを見つけ、愛情や喜びで顔を輝かせたので、ぼくは泣かずにはいられなかった。ぼくには理解できなかった。この顔の輝きがぼくのためだなんて。彼女はぼくをこんなに愛してくれて、ぼくが来たのを喜んでいる。そもそも誰かがぼくのことをこんなに愛し、喜んでくれるなんて」(ベルンハルト・シュリンク「オルガ」) 「きみはぼくの吸う息、きみはぼくのこころを羽ばたかせて、空高く舞い上がらせて、その手で落ちないように支えてくれる。きみのためにぼくは生まれ、きみのためにぼくはこれからも生きていく。死がぼくを連れ去るか、あるいは世界が終わるまで」(ジェラルディン・マコックラン「世界のはての少年」) 3.11を心に刻んで 石巻市のNさん(92歳)・・・家は半分流され・・・避難所生活を余儀なくされている。・・・新聞の取材に答えて「・・・みんな『がんばろう』というから、つい〈生くる力いまやなし〉と口ずさんでしまいます。(米国民謡の)『懐かしのバージニア』の歌詞。家に帰りたい。あとは何の望みもありません」と語った。・・・この歌の原詩に、「生くる力いまやなし」という個所は見つかりませんでした。原作者は、老いて弱る日まで、そこで生活したいのだ、と書いています。ふるさとこそ自分が最後の日々を送る場所、そこで生きたい、と。・・・けれど、一方でそうは思いつつも、私は実は、「 生くる力いまやなし」という、何の希望も見いだせない絶望的な言葉の方に、悲嘆にある心の奥深く、その存在を持ちこたえさせていく力があるような気がしてならないのです。・・・「 生くる力いまやなし」。お言葉を目にしてから何度も何度も口ずさみ、私自身にも大切な言葉になりました。(梨木香歩「やがて満ちてくる光の」) 隔たりの青〝The Blue of Distance”。 「世界はその際(きわ)や深みで青を帯びる。この青は迷子になった光の色だ。スペクトルの青側の端に位置する光は、大気や水の分子によって散乱するために太陽からわたしたちのところまでまっすぐには届かない。水にはもともと色がなく、浅い水は底の色をそのまま透き通らせる。しかし深みは散乱した光線に満たされ、水が澄んでいれば澄んでいるほど濃い青色になる。空が青いのも同じ理由だ。けれど地平線の青、空に溶けてゆくような地表の色はもっと深い色をしている。現実でないような、憂いをたたえた、はるかな見通しのいちばん先に見える青。隔たりの青。わたしたちまで届くことなく、その旅路をまっとうできなかった迷ってしまった光。この世に美を添えるのはその光だ。世界は青の色に包まれている。 もう長い間、視界の限界にみえる青に心を振り動かされていた」(レベッカ・ソルニット「迷うことについて」) 「死とはなにか」 フランソワーズ ・シュワッブの編集によるフランスで著名な哲学と音楽を深く洞察したヴラジミール・ジャンケレビッチの対談集「死とはなにか」を読みました。一等最初に、この本の訳者である原 章二先生が「訳者あとがき」で、ジャンケレビッチと同時代を生きた小林秀雄が「無常といふ事」と題するエッセイで述べていると示されたことを紹介します。小林曰く「生きている人間はどうしようもない代物で、せいぜい人間になりつつある動物というところかな。死んでしまった人間こそが、まさに人間の形をしている」と。原先生は、「本物」の人間の姿は、どうしようもない「代物」があるからこそ存在するのであり、私たちは人間の死によって、人間の生の姿を見ているのであって、端的にひとの死を目にする時ですら、私たちの見ているものは、そのひとの凝縮された生の形にほかならない、と述べておられます。ジャンケレビッチは死とは人間にとって説明のできない、思考不能の何かだと言います。たぶん、その内容は大変に単純な何かです。しかし、私たちはそれが何であるかはまったく思いつくことができません。それはまったく別の次元のものなのです、と。死は生に立ちはだかり、生を限界づけます。いつの日か死は生を断ち切る。しかし同時に、私たちは知っています、死がなければ人間が人間でさえないことを。大いなる生には死がつねに影のように従い、生に熱と光と力とを与えることを。それゆえ、死なないものは生きない、といえるでしょう。意識が肉体を離れて存在するということも確かでなければ、肉体とともに無に帰すということも確かではありません。死は生を無意味にすることによって生に意味を与えるのです。死は生に意味を与える無意味なのです。短い、しかし真の生涯、愛に満ちた生涯を過ごすか、さもなくば愛を知らない、しかしどこまでも続く生、生とはいえないような生、永遠の死のような生を生きるか、どちらかとしたら、カゲロウのように、ただ半日だけであっても生きたほうがいい、とみなが言うでしょう。そしてこのとき、もう長いも短いもないのです。このとき、私たちはすくなくとも「生きた」と言えるのです。たとえそれを失わなくてはならないにせよ、いや失わなくてはならないがゆえに、私たちは生きたといえるのです。
1896年ポーランドに生まれた画家、美術評論家、エッセイストであるジョゼフ・チャブスキの「収容所のプルースト」を読みました。1939年にソ連軍の捕虜となった著者が収容所でおこなったプルーストの「失われた時を求めて」をめぐる講義の記録です。まず、この先生きることが確約されていない状況にあっても人は知的な充足を求めて生き抜こうとする事実に 人間の希望が見えてきます。著者だけでなくさまざまな講師がお得意の分野の講義をしたのだそうです。真実の探求という文学の行為が、「パンのみで生きるのではない」人間の一つの救いとなることが、戦争という非常時の状況から浮かび上がってきます。講義曰く、真実の探求にのめり込むプルーストは死を恐れなくなっていきます。真実は死によって規定される人生の長さとは無関係に存在するからです。なんらかの衝撃によって人が時間の外側に飛び出したとき、人は死のない真実の瞬間に触れるのだといいます。その作品群の最初から最後まで、神と不死というたった一つの問題に取り憑かれたれた偉大なもう一人の作家がドストエフスキーだそうです。「カラマーゾフの兄弟」を読みたいという、いや、読まねばならないという気持ちになってきました。
「たいせつな わすれもの」(もりむら やすまさ)より 「おとなに ならなければ、わからないことが ある」 そのように おとなたちは いうけれど、 おとなに なってしまったら、 わからなくなることも たくさん あるはずだ。
サルや ライオンが、 ごみを すてるだろうか。 そらを とぶ とりや うみの さかなが、 ごみを すてるだろうか。 にんげんだけが ごみばこを もっている。
あなは よく しゃべる? くちげんかに なって、 いいあいに なったとします。 あいてを うちまかす たくさんの ことばを あなたは もっているでしょうか?
たとえば、 うつくしい ゆうひを みたとき、 その あまりの うつくしさに こえも でなくなるってこと、 あるんじゃないかな。 したしい ひとが しんじゃったとき、 それは もう ことばに ならない かなしみなんだ。 ほんとうの うつくしさ、 ほんとうの かなしみ、 ほんとうの いかり、 ほんとうの ただしさ。 ほんとうのことは、 ことばにも えにも あらわせないよ。 だから もし、 なにかを うまく いえないことが あっても、 なにかを うまく あらわせないことが あっても、 あわてず どうどうと していてください。 あなたは おしゃべりな ひとより もっと ずっと、 ことばの おもさや こわさを かみしめているのだから。 みえないものを みる こころの めを もっているのだから。 現実を支えるもの 1978年にノーベル文学賞を受賞したポーランド生まれのユダヤ人作家アイザック・バシュヴィス・シンガーの「不浄の血」という本を二年ほど前に読みました(現在H29年1月)。母語であるイディッシュ語で著作を続けた作家だったのだそうです。ユダヤ人は国土も国境も持たない故郷喪失者であると述べたということです。ノーベル賞受賞講演で、イディッシュ語には「武器」や「軍事演習」や「作戦」などのきな臭い事柄をあらわす単語はないのだと誇らしげに語ったそうです。著書は言わずもがな、その著作の翻訳を手掛けられた立命館大学教授の西 成彦(まさひこ)先生が、解題の末尾に、「妄想の力こそが、ひとの生を下から支え、ひとの性欲や感情をぐいぐい引っ張り、突き動かしているという現実を、われわれは直視しなければならない。バシュヴィス・シンガーの偉大さは、幻想や妄想こそが「現実=リアル」だということを徹底的に描くことのできた、たぐいまれな二〇世紀作家のひとりだった点にある」と書かれています。ちょっと、理屈っぽくて分かりにくいかも知れませんが、例えば歴史の大きな転換点などで革命を起こしたり、独立運動を起こしたりするような、人々の巨大なエネルギーは、実は人々の大きな勘違いや妄想や青臭い理想などを本気で信じる気概や熱意から始まると言えば、そうかも知れないと思いませんか? 画期的な科学の発明や革新的な医学の技術的進歩や臨床実績なども、初めは些細な思い込みや夢見るような妄想から、現実的な成功につながるのだと言えば、そうかも知れないと思いませんか? 「空想は現実の反対側にあるものではなく、空想の延長線上に現実がある」と言ったのは、北田博充という最近の出版人だそうです(「これからの本屋」から)。同じことを言われていますよね。そんなことは非現実的な夢物語だと言っていたのでは、何にも変わりません。まずは、信じること。己のせんとすることを妄想と言われるまでに信じ切って、信念に基づいてしつこくやり続けることでしか世の中は変わりません。何を青臭い屁理屈を言っているんだ、というような物知り顔の世間ずれした妙に落ち着き払った「大人」では、何もできません。人に揶揄されることを恐れずに己の信ずる人生を突き進む勇気と根気と情熱を忘れたくはないものです。したり顔の固い頭の「大人」になるのはなしにしましょう。年齢は無関係! です。 豊かな生を生き抜いて、よりよく逝くために必要な医療; 患者は魂をもった一人の人として扱ってくれる医療を求めているのです!! アトゥール・ガワンデ「死すべき定め」は、近年の読書の成果、5本の指に入る名著でした。忘れられない一冊となりました。アメリカの現役の外科医の筆になる本書は米国でも大きな反響があったそうです。医学は患者をより長く生かすために すべての心血を注ぎ、豊かに、より良く死ぬための配慮には決定的に欠けているというのです。細分化され、ルーチン化された医学的治療は、老化と病気による人の死において人生の最期を迎えたときに満ち足りて生きるという視点が欠落しています。「医療関係者は役に立たない、なぜなら、治せる患者でなければ、医師は患者に興味を示さないからだ」、と著者ははっきり言い切ります。終末期にしっかりと時間を割いて医者と患者が話し合うことで、患者は魂を救われ、一人の人として扱ってもらうことで、患者はどんな治療になら何が大切だから耐えられる、応じられるけど、これこれはやめてほしいという判断ができるのです。病院のICUで何も話せない状況で、これでもかという乱暴な医療行為を勝手にされて、何もじぶんの大切なことを伝えられずに逝ってしまうことは本当に辛い、無意味な死に方だと知りました。著者は言います。「医療従事者としての責任は、人を人として扱うことだ。人は一度しか死ねない。難しい話し合いに前向きに取り組む医療従事者が必要だ。今まで見てきたことを伝え、来るべきものに対する備えを手伝ってくれる専門家にならなくてはならない」と。緩和ケアという医療分野は、そのようなことを大切にして取り組む、よりよく逝くためのかけがえのない医療だと思います。 人はなぜ死ぬのか? この地球上に微生物のような生命が初めて誕生したとき、その生命にはずっと長い間、死というものは無かったのだそうです。生命が進化を続け、生殖細胞が出現したとき、つまり次世代の子孫を残すことが運命づけられたときに、詳しい仕組みは覚えていませんが、死というものが同時に宿命になったのだそうです。絶妙なからくりとしか言いようがありません。物理的に限られた空間しか持たないこの地球上で、例えば人類が生息をし続けるためには、次世代の者のために席を譲らなければ、溢れかえった人類の食物も居場所もなくなってしまって、やがて滅びてしまうことは考えてみればすぐに分かることです。 最近、全国的に広がりをみせている「がん哲学外来」の創始者、順天堂大学の樋野興夫先生は、命よりも大切なものがあると言われます。「じぶんの命よりも」と置き換えると分かりやすいかも知れません。人々が住みやすい平等な世界や国を作るため、病に苦しむ小さな命を救うため、じぶんの命を賭して政治や医学の発展に貢献した人々が居ます。そんな大袈裟なことでなくても、じぶんの家族や子どもの命はじぶんの命よりも大切だと思う人は多いのではないでしょうか。それが人それぞれに課せられた使命だと先生は言われます。その使命の前には、死は恐るるに足らないのだと。 人間は宇宙と比べれば、水辺のひとくきの葦ほどに折れやすくて儚い(はかない)存在であるが、その彼をあっさりと押しつぶしてしまう宇宙よりも尊い存在たらしめているのは、「彼がじぶんが死ぬことと、宇宙のじぶんにたいする優勢を知っている」考える葦であるからだ、とパスカルは言います。思考することによって、宇宙さえもつつみこんでしまうことができる、と。 桜が一年中咲いていたら、その価値は随分と低くなってしまうでしょう。人は、じぶんには限られた時間しかないから少しでも有意義に生きたいと思うのかも知れません。人間が不死を手に入れたとしたら、もはや怠惰で努力をしない汚らしい生命に堕してしまうかも知れません。勿論、身近な大切なひとの死は、悲しく寂しいものですが、ちょっとした順番の違いです。あっという間に追いついて、同じ死の世界に辿り着くことができます。大切なひとは子孫の邪魔にならない魂というかたちで、残された者のこころに、その者の命が尽きるまで共に存在し続けてくれます。残す者のことを案じてくれながら。 Welcome! ほじょ犬(盲導犬、聴導犬、介助犬)! 当院では身体障害者補助犬の同伴を歓迎いたします。 「子どもの顎育(がくいく)で睡眠時無呼吸症候群の予備軍を減らしましょう!」 顎育は私の造語ですが、咀嚼回数が減って噛めない子、噛まない子が増えています。しっかり噛むことの効用は日本歯科医師会など各種の団体からも最近とみに叫ばれています。私はこの十年ほどの間に呼吸器内科医の川本 仁先生のご指導やご協力を受けて、550例ほどの閉塞性睡眠時無呼吸症候群(OSAHS)の患者様に口腔内装置を作って、OSAHSの治療の一端を担わせていただいています。日本人のOSAHSの一つの特徴は、肥満でもないのにいびきや息が止まる無呼吸が起こるということです。西洋人の場合のOSAHSはほとんどが肥満に関連して起こります。日本人を含む東洋人は顎が小さいために舌を収める空間が少なくなって、咽(のど)のほうに舌が落ち込んでOSAHSになってしまうのです。食事の時に噛んで飲み込むまでの咀嚼回数は戦前に比べても半減しています。卑弥呼の昔から比べると大変な違いです。昔は「しっかり噛んで食べなさい」と、恐い家長や母親が躾けていたのです。硬いものを無理に噛む必要はありませんが、自然と咀嚼回数の増える食材を選んだり、調理法を工夫して、小さい時から、しっかり噛んで、しっかり飲みこむ習慣をつけることはいいことがいっぱいです。その一つが、幅の広いがっしりとした歯並びや「えら」の張った逞しい顎の成長を促してくれる可能性が高いということです。それが、睡眠時無呼吸症候群の予備軍を減らすという一次予防につながるかもしれないと私は考えています。歯並びが完成するのが12歳、13歳くらい、顎の成長が止まるのが男の子なら18歳くらい、女の子なら16歳くらいです。それまでが勝負なのです。親の責任ですよね。 「認知症の方の口腔ケアにぜひいらしてください」認知症の方の口腔ケアを最近させていただいていて、とても喜ばれますし、スタッフもやりがいを感じられるようです。一度、試しに、ご家族に余裕があれば、連れていらしてください。できることをいっしょに捜しましょう! 「親知らずを不用意に抜かないで!」 最近、当院では歯の移植が続いています。どうしても抜かざるを得なくなった歯を抜いて、そこに親不知を移植するのです。親不知は抜くのが当たり前のように思われておられる方もあるかも知れませんが、わたしは、きれいに磨けて虫歯にせずに置いておける親不知は残しておくべきだと患者さんに常々説明しています。親不知の移植は保険でも認められていますし、なによりインプラントには無い、歯根膜という「優れもの」が付いていますから、元の歯とまったく同じように感覚を持ったじぶんの歯が蘇るのです。歯医者は親不知を抜くように説明するのではなく、いかにして清潔に虫歯にせず親不知を残すかということを患者さんにアドバイスするべきだと思っています。 「ときに癒し、しばしば和らげ、つねに慰む」 このことばをご紹介するのは、二回目だと記憶しています。アメリカの結核医エドワード・リビングストーン・トゥルドーの功績を讃えて、ニューヨーク州の北部カナダ国境から車で一時間余りのところにあるサラナックレークという街のトゥルドーサナトリウムに2000名を越える患者さんたちが建てた記念碑の背面に刻されていることばです。サラナックレークは小さな湖の湖畔にある小さな美しい街です。私が、なぜ、見てきたようなことを言うかといいますと、1987年から二年ほど、私は、結婚したばかりの妻を伴って、サラナックレークの隣町、ここも負けず劣らず美しくて、より大きな湖を囲んでいるレークプラッシッドという街にある研究所に留学していたからなのです。サラナックまでは車で10分くらいだったと思います。しょっちゅう通り過ぎたり、その街のレストランに行ったりしました。その当時もトゥルドーインスティテゥートという研究所として施設は残っていました。もちろん、結核のサナトリウムはなくなっていましたけれど。結核を転地療養するような時代はとっくに終わっていましたから。このことばは、トゥルドー自身のことばではありません。出典は不明のようです。いずれにしても、医療というものは、勿論歯科医療もそうであると私は思っていますが、ときに患者さんの病気を癒して差しあげることが出来るかもしれないけれど、必ずしもいつも上手くいくとは限りません、せめて患者さんの苦痛をよく和らげてあげるものでなくてはなりません。それにもまして大切なことは、何も出来なくても常に患者さんの近くに寄り添って、そっと手を握ることしか出来ないかもしれませんが、慰めのことばや態度を示さなくてはならないということだと思います。 金属アレルギーと診断されたかたの来院が増えています。類は友を呼ぶというのでしょうか? ちょっと違うか? 少しは、お役にたてます。 最近、歯ぎしりが原因のさまざまな症状で来院される患者様が多いことに驚いています。私もしますが、歯ぎしりは昔言われていたような悪い習慣とは考えない人たちもいます。牙で獲物を捕らえる動物の本来持つ遠い記憶に根ざした、ストレスを上手に発散するために役立つ行為と捉える考え方です。最近の報告では、比較的若い世代の方の閉塞性睡眠時無呼吸症候群では、眠っているときに息が苦しいのをなんとかしようとする呼吸努力によって、咀嚼筋が緊張して歯ぎしりをすることがあることも知られるようになってきました。閉塞性睡眠時無呼吸症候群の治療で病状が落ち着くと夜間の歯ぎしりが止まる例がある割合で存在することが分かってきたからです。 当院では、歯みがき指導(この言葉は不適切な言葉だと、私は思います。英語のteeth brushing instructionを訳した言葉なんでしょうが。まず、「歯磨き」という言葉が変です。歯をごしごし磨き上げるというニュアンスは、う蝕や歯周病を予防するための、大切なポイントを表現していません。teeth brushingの本来の意味も、単に、「歯ブラシで歯をケアする」くらいの意味です。その証拠に、糸ようじを用いたケアはには、ちゃんとflosshingという言葉があります。それと、instruction(指導)というのが、上から目線です。最近の医科を含めた医療サービスの精神からは逸脱しています。私は、最近、oral hygien advice(OHA;口腔衛生の助言)くらいの表現のほうがいいと考えています。H26年6月)は、必要最小限にとどめることにしました。あれこれ「指導」する(口でアレコレ言う)より、専門家がしっかりブラッシングして、その歯ブラシの当たりかたや爽快感を実感してもらうほうが、疾患の予防効果が高いと考える歯科医が増えてきているからです。 3Mix法という、とても優れた治療法を最近切り札的に多くの症例で応用しています! 「治療内容」のコーナー参照! 子供さんのむし歯予防のためのかやだ歯科 よぼうクラブをつくっています。入会、年会費などすべて無料です。ポイントがたまると、プレゼントがあります。口腔ケアグッズが割引価格で購入できます。毎回、お口の中の様子を手帳に記録します。子どもたちが歯医者嫌いにならないように、楽しく、定期的にむし歯予防のためにフッ素を塗りに来ていただきたいための工夫としてつくったものです。「歯医者さんに、早く行きたい」と言ってくれる、子どもたちがたくさんいるらしい!! 歯周病の予防と進行を止めるための、オラールケアにはこだわりをもって力を入れています。ていねいに、時間をかけて、歯石を取ったり、歯ブラシの使い方の練習をしたり、いろいろな口腔ケアグッズを紹介したり、専門家によるブラッシングをしたり、歯ぐきのマッサージをしたり、進んだ歯周病のポケットのケアをしたり、PMTCをしたり。自分の歯を定期的にきちんとお手入れして、なるべく長く自分の歯を守っていこうと積極的に考えておられる方は、ぜひ当院のシステムをご体験ください。 障害をお持ちのかたの歯科治療は、とてもやりがいがあり、教えていただくことも多いのです。むし歯が無くて、お手入れだけでも結構です。ぜひ、お声をかけてください。 |
かやだ倶楽部の茅田義明です
あなたは、「痛みだけを止めてほしい」「歯を抜いてほしい」と、痛みが我慢できなくなってから仕方なく歯医者に来ていませんか?痛くなったら、歯医者に行って治してもらえばいいと、簡単に考えていませんか? あなた自身のことなのに、自分のことを粗末にしてしている人がとても多いような気がします。削っては詰め、抜いては入れることが歯科医の望ましい仕事ではありません。これでは壊れていく患者さんに助力しているのと同じことです。歯はほかのからだのどの部位とも同じように、なるべく人の手を加えず、神様や母親からもらったままの状態を保つことこそが、大切で、理想に近い状態なのです。歯医者が歯をいじればいじるほど、歯の寿命は短くなります。歯の治療は必要悪なのです。 私の医院では、一本の歯が痛んだとき、そして一本の歯を抜くとき、患者さんに「どうしてそうなってしまうのか、それが将来にどんな結果になるのか」ということに少しでも何か感じて、気付いてもらいたいという想いでお話させていただきます。 そして、その場しのぎでとりあえず痛みがなくなれば、もうそれで大丈夫と考えてしまいがちですが歯が痛くなる原因は、まだあなたの口のなかに残ったままなのです。原因はそのままですから、年をおうごとにどんどん他の歯も歯茎も、歯の土台である顎の骨なども悪くなる一方です。自分のお口のなかを健全に保つ知識とテクニックを身につけましょう! あなたは『悪くなるまで我慢すること』が、何か「医療費の節約」のような気持ちになっていませんか? 我慢は、実は逆に、非常に大きな損をしているということになるんです。歯を定期的にケアする人は、歯をケアしない人と比べて、生涯に支払う医療費が、とても少なくてすむと言われています。欧米では、高い歯の治療を回避するために、定期的なお口のチェックを受ける習慣が根付いていて、感心します。 歯を治療する必要をなくするために、当院に来ていただきたいと思います。歯の治療ではなく、歯のお手入れ、ケアを積極的にすることによって歯の治療をしなくてすむようにすることこそが、かやだ歯科医院の目標であり、前向きな取り組みであると考えています。 |
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